私と私と私

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

先日、就寝前に『ケルベロス第五の首』を一気読み。モロに影響された夢を見るに至る。
今後この本を読む予定がある方が当ページをご覧になった場合はご注意ください、ネタバレ(と言うほどのものでもない?)があります。あと、レビューをお求めの方が検索エンジンなどでいらした場合は、何もありませんのでごめんなさい。

Amazonの紹介文によると、この小説は

地球より彼方に浮かぶ双子惑星サント・クロアとサント・アンヌ。かつて住んでいた原住種族は植民した人類によって絶滅したと言い伝えられている。しかし異端の説では、何にでも姿を変える能力をもつ彼らは、逆に人類を皆殺しにして人間の形をして人間として生き続けているという…。「名士の館に生まれた少年の回想」「人類学者が採集した惑星の民話」「尋問を受け続ける囚人の記録」という三つの中篇が複雑に交錯し、やがて形作られる一つの大きな物語と立ちのぼる魔法的瞬間―“もっとも重要なSF作家”ジーン・ウルフの最高傑作。

…これを踏まえて以下、夢。

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私は私に出会った。やばい。目の前の私はきっとアボ(変身能力のある原住民)だ。殺られる。アボはすぐに私を殺して、私と入れ替わって、のうのうと生き続けるだろう。
そこの私がアボならばとっとと襲ってくるはずだ、絶体絶命!…と思いきや、その時もう一人私が現れた。その場に居た私と私はびっくりして私を見た。そのまま三者膠着状態に陥る。
私は混乱しながら考える。
…すぐに殺られると思ったが、もう一人私がやってきて、皆が固まってしまったおかげで助かった…。とは言え今が危機的状況であることにかわりはない。虎視眈々と私の座を狙う余分で危険な私が二人も居るのだ。
逃げられるだろうか?殺られる前に殺らねばならないのか?果たしてこいつらに勝てるだろうか。ていうかフツーに負けるよね、どうしよう。
そもそも私は本当に私なのか。私はちゃんと人間なのか。実は私はアボで、オリジナルの私の記憶をコピーして変身し、そのことをすっかり忘れてしまったのが今の私です、ってことじゃなかろうか。
あっちの私がホントの私だったりして。それともあっちの私が。
ばかな!
えーと、「私はアボじゃない」ってことを要確認だな。アボは道具がうまく使えなくって悪筆のはずだから、後で字を書いてみよう。いや私も普段は悪筆だけど丁寧に書けばそこまで悪くないはず。日本習字準八段(ただし児童の部ってオチ*1だがな!)だもん!
そういやドッペルゲンガーだったら見ただけで死んじゃうんだっけ?まあ自分のそっくりさんなら既に見たことある*2しなあ。…はっ、あのそっくりさんも、もしかして!
いやそんなことはともかく、今はアボに勝つ方法を考えるのが第一だ。アボに勝てることってなんだ?手先の器用さくらいしか思い浮かばんぞ。器用さを利用して優位に立つ方法は!?*3えーと!


…てな感じで心は千路に乱れつつ、動けないままに時間ばかりが過ぎてゆく。終幕  ――(はてな夢日記

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自分が読書家じゃないという自覚があるので、「この本(『ケルベロス第五の首』)は身に過ぎるっていうか勿体無いんじゃないかなあ」とか思いながら読んだのだけれども、次の日タイムリーに「今日の早川さん」でのこのエントリ(四コマ目)↓を読んで、
はてなブックマーク - Horror & SF - coco's bloblog - 門前払い
…やっぱそうですよね。サーセンww とか思った。

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書籍化された「今日の早川さん」もこんど読もう。

今日の早川さん

今日の早川さん

*1:自称「書道×段」って人、結構居る気がするけども、書かせてみるとそこまで上手とも思えないって場合が多い気がするのは皆この手のオチじゃないかなあ。子供の頃だけで止めたお稽古事で、「児童の部(会社だの流派だのによって名前は違うだろうけど)」に類するたぐいの、大人になったら意味ない段級位認定。遠い昔の記憶だが、山瀬まみ笑っていいともレギュラーだった頃、放送中にタモリ(記憶違い、別の番組みたい)自称書道二段の彼女に筆を持たせてみたらあまり上手じゃなかった。散々嘘つき〜とからかわれた山瀬まみは、そのうち「うそじゃないもん!にだんだもん!にだんだもん!」と大泣きし始めた。子供心に「あんなに泣かせちゃって…うそじゃないよ、きっと本当だよ…多分、成人の部の段級位じゃないだけで…」とか思ったりした。

*2:学生時代、他学部に正面はおろか横顔までそっくりな娘さんが居た。

*3:ドラえもんもしもボックスを使った『あやとり世界』みたいな世界ならねェ