モンゴルとスプラッタと病気のリハビリ


(夢その1)
 世界中の傘という傘は、モンゴルの大工場で作られている。
 その大工場は、さらに大きな巨大スーパーマーケットの中に建設されており、私はさっそく見学に出かけた。良い傘があれば、ついでに買って帰る気まんまんだ。野菜売り場を通り抜け、「××おじさんの工房」といった雰囲気を醸し出すウッディでファンシィな感じの工場にたどり着いた私は、めくるめく傘の乱舞にうっとり。ただ、その傘の山はまだ仕上げ前で、木で出来た持ち手部分のヤスリがけが甘いのか傷がいっぱいだ。この段階で買うとお安くしてもらえるらしい。
 どうやら傷は自分で勝手に直せるようだ。ヤスリがけではなく、その場に用意されている何やら特殊な茶色い色鉛筆を、傷の部分に軽〜く塗っていくのだ。すると不思議、傷は見えなくなり表面はすっかりなめらか。面白いのでそこら辺一帯の傘をどんどん仕上げる私。しかし、通りすがりの親切なお姉さんが「綺麗に塗られているけど、人によって好みがあるから、商品を台無しにしたと店から難癖つけられる可能性もあるわよ。気をつけなさい」と忠告してくれた。うへー、そりゃたまらん!と私はこっそり逃げ出した。



(夢その2)
 サスペンスホラー。長編だったけどあまり思いだせない。主人公は男。ラストシーンは、敵であることを隠して近づいた女が主人公の注意を引いている間に、これまでなんとか逃げ延びてきたシリアルキラー(これも女)に音も無く追いつかれ、後ろから首チョンパ。正確に言うと首じゃなくて頭半分…


(夢その3)
 先天性の「横断歩道横断恐怖症」という病気があるそうだ。ただ、これまでの研究で「この病気を抱えていても、根気よく訓練することによって日常生活に支障ない程度まで回復出来る」ことが判明している。
 全国各地にこの病気のリハビリセンターが作られており、そのうちの1つにドキュメンタリー制作班が密着取材することになった。制作班の中に知人が居て、どうしても人手が足りないからと頼まれた私はボランティアでお手伝いに行くことに。患者の皆さんと一緒に、横断歩道で手を上げて渡ったりしながら、共に病院の内外での時間を過ごす。   ――(はてな夢日記

 ★  ★  ★  ★  ★
 最近、某所(某所とかいう書き方するのはいやらしいからやめたほうがいいなあ。まあいいや)で「夢日記をつけるのは心理学的に危険だとも言われている」なんて記述を見て、えー、まじですか?とちょっと凹んでいる。まあいいや。


 私は自分の夢に対して「どうしてこんなにまっとう(?)な夢しか見られない(覚えてない)のだろう」という不満をずっと持っている。まあ、現実からするとおかしな論理で進んでゆく世界には違いないのだが、なんというか、もっとはじけた夢を楽しみたいのだ。先日映画「パプリカ」を観て、よりその思いを強くした。
 もしかすると、こうして夢日記を付けることで、言語化する過程にて夢がより「分かりやすい」ものと成ってしまい、はじけ具合がなりを潜めてしまうのだろうか…とも考える。そもそもいつも、言葉で表しきれはしないモノを、無理やり文章にまとめている訳で。
 ただ上記モンゴルの夢は、起きる直前の風景がぐにゃぐにゃとした訳の分からない世界になっていて、「こうこう!夢はこんな風にもっとイカレててくれないと面白くないね!」などと悦にいった。でもふと「心理学的に危険」を思い出して、あまりにも狂人チックなのを再現するのはやばいのかなと考えたりする…